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I hate ” 全部すじ ” [私の嫌いな書評]

 私は、本の “あらすじ” を読むのが、嫌いです。
 そういう  「あらすじ=書評」 「全部すじお知らせ=書評」 は、大嫌いです。
 和書(日本語の本)の場合も嫌いですが、洋書の場合は、ものすごく大嫌いです。

なぜか?

 読書の楽しみが大きく損なわれるからです。
 特に小説のたぐいは、すじを相当に知っていて読んだのでは、面白くないのです。
 映画の原作などの場合は、映像と原作とでは筋書きも味わいも異なるので、読む動機になります。映画との比較などもまた別に楽しいものです。
 もっとも、逆はほとんど失望しています。原作の映画化をみる場合、どうしても原作の設定や表現から離れられないので、脚本化される映画に違和感が生じるからと、思います。

 それでですね。
 書評の中に、本に登場する人物が存在した時代や、まわりの環境などを紹介し、どこからその本がスタートするのか、読みどころの1エピソードなどを知らせる、ぶんにはあまり気にならないのです。
 ですが、「書評」と銘打って、具体的内容・具体的なすじを、こと細かく説明しないで欲しいと思うのです。それは、 「本の内容・全部すじ」 とでも書いて、書評とは別にして欲しいのです。

例えば、日本の小説で、特に文学的な書評でなければ、
・夏目漱石の「坊ちゃん」
四国の松山の中学校に東京から赴任した、新米の「坊ちゃん」英語先生のハチャメチャな活躍?を描いた作品で、自身松山の中学校に赴任した夏目漱石の体験をベースとしたもの。
面白く読めて、友情や人間について、なにか深く考えさせられる作品である、
ぐらいでいいと思うのです。

 一般に「書評」とは、「本を読んだ感想」の文学的・研究者立場的なものを言うのであって、あらすじを説明するものではありません。
 学者の書評論文を読むまでもなく、「新聞の書評欄」や、一般に本の最後の方に書いてある書評(ここにはフンダンに、 書以外 の評も入っています) を見ても、それは明らかです。あらすじ部分は、「書評」のため、必要不可欠な範囲で述べているにすぎないのです。

 私は、洋書をたくさん読んでいますが、そもそも活字中毒・読書マニアですから、かつては、そして今でも、日本語の本(普通の小説本や雑文のたぐいですね)をも、たくさん読んでいます。

 日本語訳がウ~ンだった本や、お気に入りだった本の原洋書にしばらくぶりで再び出会ったとか、よほどのことを除いて、以前読んだ小説本を洋書で読み直してはいません(最近では「hard Frost」「NightFrost」  R.D.Wingfield著というイギリス刑事モノの本二冊を20年ぶりくらいに入手したので、読みました)。洋書の収集はしているので、昔夢中になって読んだジョン・グリシャムとかクライブ・カッスラーとかの原洋書も、それぞれたくさん本棚に積んではあるのです。

 正直、再度読んでも面白いと思うだろうし(昔面白かったのだから)、英語の勉強にはなるとは思いますが、手を出していません(カッスラーは長すぎて大変)。
 むろん、他に読みたい本が待っているという面もあります。本を読むスピードはあまり速くないのです(日本語では相当はやく、洋書ではけっこう遅い方と思います)。1週間に1冊のペースで読むとして約20年分の未読本(大人向けのペーパーバック)が本棚においてあります。そして、さらに増えています。絵本や児童書なども20年分くらい積んであり、それらの、やさしい洋書、を読む時間も当然必要です。
 したがって、日本語でしっかり読んだ洋書の出番は当分こない、と思います。

 話を、戻します。
 ところが、ですね。

 洋書(英語の本に限定してですが)の書評ということとなると、本屋さんや学者さんなどの本来の意味での書評とは別に、
「詳すぎるあらすじ」「全部すじ」
を「書評」として書いているムキが少なくないのです。というか、ほとんどの書評が「詳しすぎるあらすじ」なのです。
 特に、洋書の多読者のそれは、「字数制限が必要」と指摘したくなるほど、すじがきが細部にわたって書いてあるんですね。

 ちょっと見かけてタイトルや表紙が面白そうなので、収集の前に、どんな本か調べたいと思って、クリックしてみると、「全部説明」をされてしまうんですね。読まなければいいんですが、要約もポイントもないので、あるていどその書評というものを読まないと、どんな本かもわからないのです。

 英語力を向上させる目的を主とした、これらの方の書評の思惑は、一応理解できるつもりです(私の理解と違うのかも知れませんが)。
 すじ・ストーリー・内容をできるだけ知らせておけば、他の人(後続の多読人)がその洋書を読むに際して、(あらかじめ内容を知りそれを踏まえて読めるので)、その読書が容易になる、知っているぶん楽に読める、ということだろうと思います。

 特に、辞書引きを行わず、読めないところはトバスという多読者にとって、筋書きを細かい範囲まで予め知っておくことは、勉強としての読書には、有益なのだと感じます。
 その理由は十分わかりますし、英語の学習としては敬遠するものではないのです。
 また、あらすじを知っていても、実際の文章に触れていないわけですから、読書する段階では読んでいて面白いのは確かなのです。シリーズ本などでは、あらすじと少しと違いますが、前作の内容や背景がわかっていると、さらにその本の世界に入ってゆけます。

 ただ、活字中毒・読書マニア的な発想からしますと、「全部すじ」を予め読んで、それから本を読んで、それで「十分に」に楽しいのだろうか、と思ってしまうのです。
 実際の文で本の中の世界にひたる楽しさはあると思いますが、ここでライオンが出てきて、このあと滝に落ちて、などとわかってしまうのも、どうかと思うのです。この後、結局離れ離れになってしまうんだよなあ、と思いながら読むのも、どうかと感じるのです。推理小説で、トリックや犯人がわかってしまうのは問題外ですが、あまり詳しい「全部すじ」を読むと、感覚としては、それに近いものがあるような感じがします。
 繰り返しになりますが、読まなければ、いいのですが。

 せっかく後に続く読者のために作ってくれるなら、
日本の本の書評のような、もっとポイントを絞った「本来の」書評をも、別立てで、併せて書いていただいたら助かるのに、と思うのです。
パっと読める範囲内の書評というか、新聞の書評欄に書いてあるような書評というか、ですね。
それを読んで、その本がどうしても読んでみたくなるような、書評です。
それを読んで、こんな本があったんだ、と気づくような、そんな書評です。

 ムシの良い願いなのは、わかってはいるのですか、書評的なものを書く方は、ぜひとも短い本来の書評を数多く書いて下さるよう、読書マニア 兼 洋書収集家として、願いたいのです。

 ちなみに、私が書いている「楽しく読もう」は、書評ではなく、その洋書を楽しく読むガイドです。
 紹介と銘打っていますが、その本についての雑記にすぎません(分類上は書評だと思いますが)。
 ただ、より楽しく読むために、できるだけ詳しい筋にふれないように、心がけています。

I  hate  “ 全部すじ ”。

追記:
えーと、あのブログのランキングのポチっというやつですが、昨日、ある発見をしました。
自分でやってもポイントが入るんですね。あら不思議。
それまで、ポチ標識の配置とか設定に夢中になっていて、ブログ生活7日目にして、気がつきました。
これから、しようっと。
しかし、皆様の本当の「ポチッ」が本来は頼りです。
気が向いたら、 ポチッとして下さると幸いです。Poor sunny-side up

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